ダイアナ妃最後の恋人天才外科医ハスナットカーンや事故死の真相は陰謀論?【ワールド極限ミステリー】

2020年4月1日に放送される「ワールド極限ミステリー」でイギリスのダイアナ元妃について特集されます。

ダイアナ妃は1997年にフランスのパリを訪れていた際、不慮の交通事故により36歳の若さで亡くなられています。

また、ダイアナ妃には最期の恋人と言われている人物がいます。

その人物はパキスタン医師の「ハスナット・カーン」です。

この記事では、ダイアナ妃とチャールズ皇太子やハスナット・カーンとの恋愛や事故死の真相について紹介していきます。

【ワールド極限ミステリー】ダイアナ元妃とチャールズ皇太子の出会いについて

プロフィール
  • 名前:ウェールズ公妃ダイアナ(Diana, Princess of Wales)
  • 全名: ダイアナ・フランセス(Diana Frances)
  • 旧姓: スペンサー(Spencer)
  • 生年月日:1961年7月1日 – 1996年8月28日(享年36歳)
  • 出身地:イギリス・イングランド
  • 配偶者:ウェールズ公チャールズ王太子 (1981年 – 1996年)

ダイアナ妃はイギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢として生まれます。

3姉妹の末っ子として誕生したダイアナ妃は勉強はダメでしたが、非常に優しくですぐに仲良くなれる人物でした。

そして、1981年にチャールズ皇太子と結婚。

チャールズ皇太子との出会いですが、元々はダイアナ妃の姉であるセーラと交際していました。

初めて出会った時はダイアナ妃のことは何も思わなかったそうですが、何年か後にダイアナ妃と再会し、成長したダイアナ妃の姿にチャールズ皇太子は心惹かれたようです。

結婚後は、ウィリアム王子とヘンリー王子の2人の子供を授かることに。

しかし、ヘンリー王子誕生以降は関係が悪化し別居状態に。

その結果、1996年に離婚されています。

 

パキスタンの天才外科医医師「ハスナット・カーン」のプロフィールや出会いは

プロフィール
  • 名前:ハスナット・アフナド・カーン(Hasnat Ahmad Khan)
  • 生年月日:1959年4月1日(61歳)
  • 出身地:パキスタンパンジャーブ州ジェルム
  • 職業:外科医(専門は心臓と肺)

ダイアナ妃はチャールズ皇太子と離婚後、外科医であるハスナット・カーン氏と交際に発展します。

ハスナットは現在、ヨーロッパの医師として最高位でもあるイングランド王立外科医師会会員を務められています。

ハスナットはパキスタン系イギリス人で、4人兄弟の長男として産まれます。

親戚には政治家がおり、パキスタンでは名家でお金持ちの家で育ったようです。

ハスナットは医療の道に進むため、ノーベル賞学者を17人排出したLSEや世界第5位の医大に選ばれたICSMを卒業。

非常に優秀な人物であったことが伺えます。

そして、ダイアナ妃とはロンドンの病院で出会ったそうです。

ダイアナ妃が入院している友達のお見舞いに来ていたところ、担当医が偶然にもハスナットだったとか。

運命的な出会いをした2人は交際に発展。

また、ハスナットはイギリスの植民地であるパキスタン出身の医師。

ダイアナ妃は宗主国でありイギリス王族であった2人の恋は複雑な問題も絡み、現代版ロミオとジュリエットと言われました。

 

ハスナットと破局やドディ・アルファイドとの二股疑惑

ダイアナ妃はハスナットに2人の息子を紹介し、ハスナットの実家に訪れるなど親しい仲にあったようです。

結婚まで考えていたと言われていますが、2人はその後破局することに。

理由については明らかになっていません。

そして、ダイアナ妃がハスナットと破局後に交際していたと言われているのが「ドディ・アルファイド氏」です。

プロフィール
  • 名前:ドディ・アルファイド(Dodi Al-Fayed)
  • 生年月日:1955年4月15日 – 1997年8月31日(享年42歳)
  • 出身地:エジプトアレキサンドリア
  • 職業:イギリス映画のプロデューサー

ドディ・アルファイドはダイアナ妃の生前最後に一緒にいた人物でもあります。

1997年にダイアナ妃はスペンサー家が親しくしていたエジプト人の大富豪モハメッド・アルファイド氏の別荘に招待されます。

ダイアナ妃はウィリアム王子とヘンリー王子を連れて、休暇目的で南フランスのサントロペにああるモハメッドの別荘を訪れます。

ここでドディとダイアナ妃は知り合うことに。

ダイアナは別荘に滞在中、あろうことかドディとの密会写真をパパラッチにわざと撮らせたのです。

そして、ダイアナ妃は休暇から帰国した後にハスナットに別れを申し出たそうです。

一部では密会写真をわざと撮らせてハスナットとの復縁を目論んでいたとも言われています。

しかし、ハスナットと別れたのは休暇から帰国した後ですから、復縁目的であった可能性は低いかと。

おそらくですが、パパラッチを毛嫌いするダイアナ妃がパパラッチに仕返しするためのものではないかと。

また、ハスナットとドディの交際時期についても被っていたと言われていますが、真相は不明のようです。

 

ダイアナ妃事故の真相は?陰謀論についても

ダイアナ妃は1997年8月に恋人であるアルファイドに招かれてフランスを訪れていました。

しかし、2人はフランスでパパラッチが執拗に追いかけられることに。

追跡から逃れるために乗った車が猛スピードでトンネル内で衝突事故を起こし、ダイアナ妃は病院に運ばれ帰らぬ人となりました。

アルファイドも同じく。

ただ、ダイアナ妃の事故死については様々な噂や不思議な点がいくつかあるようです。

ダイアナ妃の事故死についての噂

  1. フランス政府による揉み消し?
  2. 英国王室による陰謀?
  3. 執事の告白

 

1.フランス政府による揉み消し?

フランス政府が当初事故の原因を「パパラッチの執拗な追跡」と発表。

その後「運転手の薬服用とアルコール過剰摂取のため」と訂正。

⇨運転手のアルコール摂取量は基準値の約3倍と発表するものの、その状態での運転は不可。

また、運転する前にダイアナ妃を車に速やかに誘導していたことからアルコールは摂取していない可能性も。

事故の目撃者はおらず、唯一生存した同乗者であるボディーガードは記憶喪失。

ダイアナ妃の乗った車を追跡していたパパラッチが撮影した写真もパリ警察によって没収。

追跡していたパパラッチは3年後に亡くなっている。

また、ダイアナ妃は車に乗る時はいつもシートベルトをしていたがこの日だけはしていなかった。

 

2.英国王室による陰謀?

ダイアナ妃がアルファイドとの結婚を機にイスラム教に改宗する恐れがあった。

未来の英国王の母親がイスラム教徒という事態を防ぐため、あるいはダイアナがドディの子を身ごもっていて、アルファイド一族が未来の英国王の異父兄弟になることを阻止するため、イギリス政府が暗殺したとする陰謀論がある。

また当時、再婚を考えていたチャールズ皇太子にとって、ダイアナ妃は爆弾のような存在であった。

 

3.元執事の告白

ダイアナ妃は、元執事であったポール・バレル氏に事故の一週間前に手紙を預けていた。

手紙には「チャールズ皇太子が自動車のブレーキに細工して、私の事故を企てた」と書かれていた。

バレルは、事故直後エリザベス女王から「この国で働いている力に気を付けるよう」と忠告を受けたとも言われている。

バレルは、ダイアナ妃の死因究明のための検死審問での証言で「墓場まで持っていく秘密もある」と述べている。

一方で「英国王室陰謀説をありえない」と全面否定していた。

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