2020年6月3日に放送される「ワールド極限ミステリー」でアメリカで起きたイギリス人ベビーシッターの逆転裁判について特集されます。
これはアメリカのホームステイ先でベビーシッターを務めていたイギリス人のルイーズ・ウッドワードが、滞在先の乳児を虐待した事件です。
ルイーズは事件当初、罪を認めたのですが裁判では一転無罪を主張。
最終的に有罪判決を下されるものの、刑期は1年足らずと驚きの展開が待っていたようです。
この記事では、ルイーズが起こした事件の真相と裁判の結果や現在について紹介していきます。
【ワールド極限ミステリー】イギリス人ベビーシッターのルイーズが生後8か月の乳児を虐待?
19 years ago today, a Boston jury found au pair Louise Woodward guilty of second degree murder of the baby in her care. pic.twitter.com/WXTUJceFny
— Crime+Investigation UK (@CI) October 31, 2016
- 名前:ルイーズ・ウッドワード(Louise Woodward)
- 生年月日:1978年2月28日(42歳)
- 出身地:イギリス
事件は1997年アメリカ・ボストン郊外の高級住宅で起きます。
ルイーズはそこに住む医者夫婦の家にオペア制度を利用してアメリカに滞在していました。
オペア(オーペア、仏: au pair)は外国にホームステイして現地の子供の保育や家事をする見返りに滞在先の家族から報酬をもらって生活する留学制度のことである。
ある日、ルイーズは医者夫婦の二男である生後8か月のマシューが呼吸が止まりかけていると通報。
マシューは救急搬送され精密検査を受けることに。
診断の結果、マシューの脳と頭蓋骨の間に複数の大きな内出血が確認され、揺さぶられっ子症候群であることが判明。
概ね生後6か月以内の新生児や乳児の体を、過度に揺することで発生する内出血などの外傷。
児童虐待ともなりうるもので、乳児揺さぶり症候群ないし乳幼児揺さぶられ症候群ともいう。
事件当日マシューに接していたのはルイーズだけであり、警察が事情聴取するとルイーズが揺さぶり床に落としたことを自白。
ルイーズは事件翌日に逮捕されます。
そして、事件から5日後にマシューは亡くなり、ルイーズの罪は暴行から殺人罪に。
ルイーズとマシューの両者が裁判で対立

事件から8ヶ月後、ルイーズの裁判がはじまります。
- 両親は朝出勤。
- 午後3時半頃にルイーズはマシューのおむつを交換。
- おむつを捨ててマシューの元に戻ると呼吸をしている気配がなかった。
- ルイーズは呼吸をしていないマシューを揺さぶり続けた。
また、検察側の証人としてマシューの母であるデボラによると、デボラはルイーズの生活態度について夜遊びにでかけたり、門限を破ることが多かったなどと証言。
さらに、夫婦が門限を破ったことに注意されるのを嫌がっていたことも判明。
検察はマシュー殺害の動機を夫婦への逆恨みだします。
一方で、ルイーズの弁護側はルイーズがベビーシッターの仕事を楽しみ、父のスニルはそれを理解していたという証言も。
また、ルイーズは労働時間を大幅に超えて働かされ、休日も休み返上で子どもたちの面倒をみることがあったという。
それでも、ルイーズの母であるスーザンルイーズとのたまの電話のやり取りで、子どもの世話を楽しんでやっていたと証言。
ルイーズとデボラは真っ向から対立することになります。
ルイーズのマシュー虐待の真相や

マシューを診断した小児科医によれば、事件当時マシューは約1分間激しく揺さぶれたと証言。
検察はマシューを揺さぶって殺害したのはルイーズと主張した。
弁護側はマシューは激しい揺さぶりは受けていないと反論。
しかし、医師はマシューが頭部骨骨折をしており、事件当日に骨折した可能性が高いと証言。
これに対して弁護側は、搬送されてきたときマシューの頭部に腫れがなかったことから事件当日の骨折ではない証拠に。
そして、弁護側の医師は骨折は3週間以上前のものだと証言したのです。
ルイーズは取り調べの時、「警察に泣き止まないマシューにイライラし少し手荒に扱った、マシューを床に落とした」と証言していた。
しかし、ルイーズは「落としたとは言っていない、マシューを置いた」と言ったのだと反論。
ルイーズの事情聴取は録音されていなかったため、真実を確かめることが出来ず、裁判は判決に向かいます。
ルイーズの裁判結果と現在について
On #ThisDayInCrime in 1997, British au pair Louise Woodward’s conviction was reduced: https://t.co/kmONT6SUXp pic.twitter.com/f5HtGstqft
— Crime+Investigation UK (@CI) November 10, 2015
1997年10月30日、ルイーズに有罪判決が下ります。
殺人罪で15年の仮釈放のない実刑となることに。
陪審員の心証を決定づけたのは、裁判中のルイーズの微笑みでした。
ところが、ルイーズは279日で釈放されることになります。
理由は裁判長が陪審員の評決を無視したため。
というのもアメリカには裁判長が陪審員による評決を棄却する権利があるようです。
棄却理由はルイーズに殺意があったとする証明ができない、殺人罪の証拠不十分であったから。
また、ルイーズの地元イギリスでは有罪判決に対してのデモが起き、警察による調書ねつ造疑惑が持ち上がった影響も大きいと思われる。
そして、1998年11月にルイーズは過失致死罪という新たな判決が下され刑期は279日に。
ルイーズは記者会見で虐待はしていないと主張。
現在は結婚して母となっているようです。
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