石浜仁バイク事故の犯人や真実は?駒沢幹也(伝説の交通事故鑑定人)の現在も【アンビリバボー】

2020年2月20日に放送される「アンビリバボー」で1991年に茨城県で起きたバイク事故「石浜事件」について特集されます。

石浜事件はバイクに乗っていた石浜仁さんが乗用車と衝突してその後死亡。

警察は捜査から石浜仁さんの過失と断定していたのですが、ある人物によってその判決が覆ります。

その方は伝説の交通事故鑑定人と呼ばれている「駒沢幹也さん」です。

駒沢幹也さんが判決を覆した過程や詳細などを紹介していきます。

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【アンビリバボー】石浜仁さんの乗るバイクがトラックと衝突して亡くなる(石浜事件)

事件は1991年茨城県で起きます。

被害にあったのは「石浜仁さん」。

石浜仁さんはモトクロスの全日本大会に出場するレーサーでもあったそうです。

そんな石浜仁さんの運転するバイクと乗用車が衝突する交通事故が発生。

バイクに乗っていた石浜仁さんは亡くなる事に。

その後、警察による検証が開始。

事故現場の道路のセンターラインは摩耗して消えていたが、警察は石浜仁さんの乗っていたバイクのブレーキ痕からセンターラインを越えていた事が判明。

警察は石浜仁さんに過失があった事で終わらせようとします。

 

家族・友人は警察の判断を疑問に

事故直前、石浜仁さんは友達とボウリングをして、その帰りに事故にあったようです。

友達は石浜仁さんのが運転するバイクの後ろを車で走行しており、とてもセンターラインをオーバーするような危険な運転はしていなかったと証言。

モトクロス大会に出場していた事から運転技術には優れていると主張。

その後、衝突した運転手が飲酒運転をしていたことが発覚。

実は運転手が飲酒運転をしていた事を警察は把握していたにもかかわらず、事故と関係ないと判断して石浜さんの家族にその事実を伝えていたなかったようです。

また、当時は飲酒運転を現在ほど厳しく罰する法律がなく、石浜仁さんの過失ではないと証明する物的証拠もなかったようで。

運転手は略式命令の罰金5万円で釈放される事となったのです。

 

駒沢幹也によりバイク事故の検証が行われる

事故から3カ月後、家族が諦めかけていた時に事態は突然動き出します。

石浜仁さんと衝突した運転手がスクラップ業者に事故車を持ち込んだのです。

実はそのスクラップ業者が、偶然にも石浜仁さんの叔父が経営する業者でした。

奇跡的に物的証拠を手に入れた家族は、真実を知るため❝伝説の交通事故鑑定人❞駒沢幹也さんに調査を依頼。

そして、駒沢幹也さんは家族が保管していたバイクと乗用車で検証を実施。

すると車の右側フロントのへこみ具合から、バイクのタイヤではなく石浜仁さんが衝突していた事が明らかに。

さらに、運手席側のドアに上限3cmの傷が。

それは石浜仁さんが来ていたアウターのチャックによるものでした。

その事から駒沢幹也さんは車と石浜仁さんがすれ違うように衝突していた事を推測。

 

駒沢幹也がバイク事故の真実を解き明かす!ブレーキ痕から分かった真相

また、駒沢幹也さんはは事故現場から2つのブレーキ痕があった事を把握。

それが「普通のブレーキ痕」と「転がり痕」です。

石浜仁さんは衝突直前に急ブレーキをかけてセンターラインに向かってスリップ。

この時に出来たのが普通のブレーキ痕。

そのままでは対向車線にはみ出す危険があり、直前にブレーキを解除していたのです。

通常ブレーキをかけた場合、後輪がロックされるため危険避けよう車体の向きを変えようとしても後輪はスリップした方向に進み、思った方向へは進まないのです。

石浜仁さんは車との衝突をギリギリまで避けようとして、直前にブレーキを解除して後輪が路面を捉えられるようにしたのです。

この時に出来たのが転がり痕。

転がり痕の末端はセンターラインギリギリで弧を描き対向車線にはみ出していなかった事が判明。

石浜仁さんはギリギリまで衝突を回避していたのです。

その結果、石浜仁さんはセンターラインを超えたのではなく、対向車がセンターラインを超えた事が判明。

対向車は衝突直前にセンターラインを90cmほどはみ出していた事も調査から分かったそうです。

調査から石浜仁さんの家族は車の運転手を相手に民事訴訟を起こす事に。

裁判所は最終的に過失割合を「9(運転手):1(石浜仁さん)」での和解を勧める判決を下したのです。

駒沢幹也さんの活躍により見事判決を覆す事が出来たのです。

 

駒沢幹也(伝説の交通事故鑑定人)のプロフィールや現在は

プロフィール
  • 名前:駒沢 幹也(こまざわ みきや)
  • 生年月日:1917年ー2006年(享年89歳)
  • 職業:交通事故鑑定人

駒沢幹也さんは戦時中は中島飛行機設計部に所属していた技術者でした。

終戦後は損害保険会社で鑑定業務を行い、その後独立。

以降、50年間に渡って交通事故鑑定人としての仕事をなさっていたようです。

そして、2006年に駒沢幹也さんは89歳で亡くなられたようです。

また、駒沢幹也さんには意思を受け継ぐ2人の弟子がいるようです。

その人物は「石川和夫さん」と「綾田成樹さん」。

2人はそれぞれ独立事務所で交通事故鑑定人として活動されているようです。

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