ナイナイ岡村隆史解散危機の恩人は大崎洋と木山幹雄!芸能界入りのきっかけも【金スマ】

2019年1月31日に放送される「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」にナインティナインの岡村隆史さんが出演されます。

岡村隆史さんが金スマに出演するのは2回目になります。

前回の初登場ではテレビで初めて披露された話もあり大きな話題を呼びました。

今回は過去にあったナイナイの解散危機や芸能界入りした秘話について語られるます。

その過程にはある2人の恩人の存在が大きく関わっているようです。

ナイナイのコンビ結成秘話や解散危機をを救った恩人について紹介していきます。

【金スマ】岡村隆史と矢部浩之(ナイナイ)が芸能界入りしたきっかけは?

岡村隆史さんと矢部浩之さんは元々高校のサッカー部の先輩後輩の関係でした。

実は岡村隆史さんは矢部浩之さんの1個先輩。

世間一般的には同期または矢部浩之さんの方が年上のイメージが強いですが、実は年下なんですよね。

当時、矢部浩之さんの兄である矢部美幸さんがNSCの7期生として「ちゃんねるず」というコンビを組んでいました。

ちなみにコンビ名はどんねるずの影響から来ているみたいです。

7期生には雨上がり決死隊や現在岡村隆史さんと番組で共演されているなるみさんがいます。

ある日、矢部美幸さんの出番がある事から2丁目劇場に行く事になった2人。

劇場で漫才を見た事で岡村隆史さんは芸人に少し憧れを持ったそうです。

元々岡村隆史さんは人を笑かすのは好きでしたが、芸人になりたい気持ちはそれほどなかったとか。

また、当時は大学に進学する事を決めていたためすぐに芸人になる事はしませんでした。

ですが、現役で志望する大学に合格する事は出来ず浪人する事に。

一方、矢部浩之さんは漫才を見て芸人になる気持ちが強くなります。

岡村隆史さんの寄せ書きに「進路に迷ったら一緒にお笑いの世界に入りましょう」と書いたそうです。

その後、岡村隆史さんは1年浪人した末に立命館大学、関西外国語大学、大阪芸術大学に合格。

矢部浩之さんも大学受験するものの全ての大学に落ちてしまい、吉本の養成所に入る事を決意。

岡村隆史さんも一浪してサークルに入るのが恥ずかしいと思い、矢部浩之さんと一緒に養成所へ。

 

矢部浩之のミスが人生を大きく左右する事に

お笑いの世界に入る事に決めた2人。

岡村隆史さんは後輩である矢部浩之さんに吉本興業に入るための書類の手続きを全部任せていました。

しかし、矢部浩之さんは提出書類に関して全く手配をしていませんでした。

そんな中で2人はなんばグランド花月で舞台を見に行く事に。

するとそこでNSC9期生の二次面接が実施。

それは、本来2人が受けるべき面接だったのです。

2人は慌てて「どうしてもNSCの9期生に入りたいんです」と何度も懇願。

しかし、吉本興業の人からは「来年の10期生として応募してください」と追い返される事に。

諦めたくなかった2人は面接が終わるまで待ち続けたようです。

すると、ある人物が2人に声をかけます。

この人物が2人の人生を大きく変える事に。

 

大崎洋会長がナイナイの恩人となる!

今回番組で紹介される2人の恩人の内、1人は現在の吉本興業会長である大崎洋さんです。

実は先ほど2人に声をかけたのが大崎洋会長でした。

大崎洋会長は2人の面接を特別に許可。

大崎洋会長は「君たちはおもろいんか?」と訪ねると岡村隆史さんは「おもろいです」と返答。

大崎洋会長はその返答が気に入ったのか、2人は晴れてNSC9期生になったのです。

大崎洋会長がいなければナイナイは誕生していなかったのかもしれませんね。

 

もう1人の恩人Kは片岡飛鳥?

また、番組ではもう1人の恩人が紹介されスタジオに登場。

その人物についてはこのように説明されていました。

一度だけあった解散危機を救った大恩人・K

個人的には「めちゃイケ」の番組立ち上げや企画に携わった片岡飛鳥さんではないかと推測します。

ナイナイが東京に進出して2年目の時に片岡飛鳥さんと出会い、ナイナイは後に大人気になる事に。

当時、天然素材の番組にでたまたまネタを披露する機会があったそうです。

「天素の深夜番組のとき(『吉本印天然素材』)に、雨上がりとFUJIWARAのネタ、どっちかできてないから、ナインティナイン ネタやってって言われたんですよ。

ほとんどやらしてもらえへんかったの、コンビネタは。へびいちごと俺らは本当少なかったんよ」と、当時を振り返る矢部。

(引用:https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0126/nrn_200126_3264742784.html)

そして、ナイナイがたまたま披露したネタを片岡飛鳥さんがオンエアで見たそうです。

片岡飛鳥さんはすぐさまナイナイの2人に特番への出演をオファー。

その特番が「新しい波」だったそうです。

その後は「とぶくすり」ができて、「めちゃモテ」⇨「めちゃイケ」に出演してナイナイは人気を獲得。

矢部浩之さんは当時の出来事について

「その1日で、飛鳥さんがカンテレまで来るって言って。

カンテレで、俺らの当時持ってた全ネタを見せたの。

だから雨上がりさん、FUJIWARAの2組が、もしネタやってたら、俺らもそのネタやってないんですよ」

(引用:https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0126/nrn_200126_3264742784.html)

と片岡飛鳥さんとの出会いを運命的に感じていたそうです。

 

岡村隆史を休養に追い込んだ?

また、片岡飛鳥さんは週刊文春のインタビューで岡村隆史さんに対して高いクオリティを求めすぎたが故に、自身が休養に追い込んだと答えています。

これも振り返るのはとても辛い思い出ですが、「奇跡を呼ぶ男」といって僕が彼を追い詰めたのも一因かと思っています。

岡村は真面目で、タスクを実現することにすごく長けている反面、とても神経質でネガティブなところもある。心身ともにタフな「オファーシリーズ」ではそれこそ日本中からその頑張りを期待されるようになって……もう成功して当然みたいに。

長年『めちゃイケ』を背負って努力を続けてきた彼は、きっと孤独で辛かったんだろうと責任を感じていました。

(引用:https://bunshun.jp/articles/-/11472)

 

ナイナイを救ったもう一人の恩人・Kは木山幹雄

(画像引用:http://www.km-jimusho.com/history/142.html)

そして、もう1人の恩人は片岡飛鳥さんではなく2丁目劇場の支配人を務めていた木山幹雄さんみたいです。

木山幹雄さんが恩人となったエピソードについては以下のように書かれています。

NSC在学中、NSC生が参加したお笑いのコンテスト「2丁目アマチュア大会」で優勝し、優勝特典である吉本興業が運営している心斎橋筋2丁目劇場の舞台出演権を獲得する。

しかしその直後、先輩である雨上がり決死隊の宮迫博之の入れ知恵で2人はNSCを授業料未納のままで乗り切ろうとしていたところ、岡村いわく「自分たちの年から授業料未納に対する扱いが厳しくなった」とのことで、吉本の社員に「お前ら消したろか」などと激怒され、ナインティナインの2人は授業料未納によりNSC除籍処分となる。

2丁目劇場の舞台出演権を獲得しながらもNSC退学となってしまったことを報告するために、2丁目劇場の支配人であった木山幹雄のもとを訪れたところ、木山の厚意により2丁目劇場の舞台に立つことを許可される(自分のせいでNSCを追われた責任を感じた宮迫の推薦でもある)。

NSCサイドから「なぜクビになった二人が出演しているんだ」とクレームが来るが、木山は「うちらは面白い芸人をつくるのが仕事です 面白いヤツは出します」などとフォロー

最終的にNSCサイドから「ナインティナインを引き続き出演させる代わりに、NSC生のへびいちごも出演させる」という条件を木山が受け入れる形で、ナインティナインは舞台に出演し続けることができた。

(引用:https://rubese.net/)

このように木山幹雄さんの粋な計らいによって舞台に出演する事ができ、お笑い芸人を辞める事を回避出来たのです。

大崎洋会長や木山幹雄さんがいなければナイナイの存在自体が無かったのかもしれませんね。