小川岟一(よういち)経歴プロフ!妻嫁と結婚で現在は?(アンビリバボー)

第二次世界大戦後、ロシアのサハリン(旧樺太)に残留した日本人の帰国に大きく貢献された小川よういちさん。

小川よういちさんによって数多く残留日本人が日本に帰国する事が出来ました。

ただ、2017年に小川よういちさんは亡くなられています。

ここでは大きな功績あ挙げた小川よういちさんの経歴やプロフィールと現在について紹介していきます。

小川よういちがサハリン/樺太残留日本人の帰国に貢献理由は?【アンビリバボー】

2020年1月30日

小川岟一(よういち)さんのwiki風プロフィールと経歴!

プロフィール
  • 名前:小川 岟一(おがわ よういち)
  • 生年月日:1931年10月~2017年(85歳)
  • 出身地: 樺太大泊町谷町(現サハリン州コルサコフ市)

小川よういちさんは小学生時代の1939年に北海道小樽市に引き揚げるまでは、樺太で生活していました。

その後は、旧制小樽市立中学から学制改革で小樽高校(現潮陵高校)に編入。

衆議院速記者養成所経て19歳で日本経済新聞社に入社。

同時に中央大学法学部(夜間)にも通いながら卒業されています。

薬剤師である父親の元に誕生し、非常に優秀な人物であった事が伺えます。

また、積極的に安保闘争などの組合活動に参加しされ新聞労連の書記長を7年間任務されました。

小川よういちさんの経歴についてはこちらでまとめています。

経歴

  • 1951年:一級速記士となり日本経済新聞社に入社。
  • 1957年:中央大学法学部卒業
  • 1959年:日経新聞労組書記長として専従
  • 1961年~67年:新聞労連書記長
  • 1968年:日本経済新聞社に復職
  • 1989年:「樺太(サハリン)同胞一時帰国促進の会」創設
    ⇨事務局長に就任
  • 1991年:外務大臣表彰を受ける
  • 1991年:日本経済新聞社を退職
  • 1992年:促進の会を「日本サハリン同胞交流協会」に改組
  • 1999年:協会の「特定非営利活動法人」(NPO法人)資格取得
    ⇨政府からの委託費で事業を進めることとなる

 

小川岟一(よういち)さんと「日本サハリン同胞交流協会」の現在は

小川よういちさんは2017年7月31日に肺がんのために亡くなられています。

享年は85歳でした。

小川よういちさんが立ち上げた日本サハリン同胞交流協会は、2013年に「NPOに本サハリン協会」に引き継がれる事に。

役員の高齢化が進み、元アナウンサーの斎藤弘美さんら次の世代に運営がバトンタッチされているそうです。

 

結婚して妻や嫁はいる?

また、小川よういちさんは結婚していた事が分かりました。

旧日本サハリン同胞交流協会の会長を務めた、小川岟一(おがわ・よういち)氏は、かねて病気療養中のところ、7月31日午前10時49分、東京都内の病院で逝去されました。

満85歳でした。 ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んで通知いたします。

喪主は、妻・芳子(よしこ)さん。

(引用:http://sakhalin-kyoukai.com/topics/index.html)

このように喪主を妻である芳子さんが務めていたようです。

また、子供については智代子さんという娘さんがいらっしゃる事が分かりました

智代子さんも父親の後を引き継ぎサハリンの帰国事業に従事されているそうです。

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