中日高木守道死因は心不全で現在は?井端弘和との関係は不仲?

2020年1月17に日に元中日ドラゴンズの選手・監督であった「高木守道さん」が亡くなった事が話題になっています。

高木守道さんは中日ドラゴンズで二塁の名守として活躍され、中日の監督・コーチも務められ、ファンからは2代目「ミスタードラゴンズ」と呼ばれていました。

中日ファンはもちろんプロ野球ファンにとっても悲しい出来事になりました。

高木守道さんの死因や現在と井端選手や落合博満さんとの関係について紹介していきます。

元中日の選手・監督を務めた高木守道が亡くなる!死因や現在は

現役時代は中日の名二塁手として活躍し「ミスタードラゴンズ」と称された中日元監督の高木守道さんが17日、急性心不全のため名古屋市内で死去した。

78歳だった。

葬儀は家族葬で営まれる。

(引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200116-00000509-san-soci)

このように元中日の監督であた高木守道さんが1月17日に名古屋市の病院で亡くなれています。

死因は急性心不全だったそうです。

また、高木守道さんつい最近、親友である板東英二さんがパーソナリィーを務めるラジオ番組に出演されていました。

番組の冒頭で板東さんから「お変わりございませんか」と聞くと「お変わりございません」と即答。

「いやいや。ずっと毎日一緒?」と聞かれると「一緒じゃないですね」とのかけ合いをするなど、元気な声を届けていた。

このように元気な事を報告されていたようです。

また、番組では2月に名古屋市内でイベントをする事も告知されていたようです。

それだけに突如の訃報は多くの野球ファンに悲しみを与えましたね。

 

みんなの反応

これは驚いた。

監督としては成績がもうひとつでしたが、現役時代晩年を見てた僕からしたら、走攻守安定した選手という、とても良い印象でした。

先にも予定入れてたみたいだし、本当に急だったんだなぁ。残念。

将来の竜戦士を育てるべく子供たちにも熱心に野球教室で指導していたのに

マジか?野球の、特に中日の創成期には欠かせない選手だった。

歴代名二塁手には必ず名前が挙がるしな。 野球をしてくれて本当にありがとうございました。

落合政権後の監督としては思うところはあったけれど周平を引き当てて下さった事は決して忘れません。

急すぎてびっくりです。 次のミスタードラゴンズが生まれるまで見守ってください。

ご冥福をお祈りします。

(引用:Yahooコメントより)

 

中日高木守道の経歴やプロフィール!

プロフィール
  • 名前:高木 守道(たかぎ もりみち)
  • 生年月日:78歳没(1941年7月17日 – 2020年1月17日)
  • 出身地:愛知県 名古屋市
  • 職業:野球解説者
経歴

  • 中日ドラゴンズ /選手(1960~1980)
  • 中日ドラゴンズ/コ-チ(1978~1985)
  • 中日ドラゴンズ/監督(1986、1992~95, 2012~13)
受賞歴

  • 盗塁王:3回 (1963年、1965年、1973年)
  • ベストナイン:7回(二塁手部門:1963〜1967年、1974年、1977年)
  • ダイヤモンドグラブ賞:3回 (二塁手部門:1974年、1977年、1979年)

※ダイヤモンドグラブ:現在のゴールデングラブ賞にあたる

高木守道さんは愛知県で生まれ、岐阜県で育ちます。

高校は「県立岐阜商業校」に進学されます。

高校時代は甲子園の出場がなく、卒業後は早稲田大学に進学予定でした。

ところがその後、事態が変わり中日ドラゴンズに入団する事になります。

中日では俊足巧打のリードオフマン、また守備の名手(二塁手)としても活躍。

NPBでは通算で「打率.272 2274安打(歴代16位) 232HR 813打点 369盗塁」を記録。

また、守備面では2179試合に出場して「11477守備機会・5327刺殺・5866補殺・284失策・1373併殺」とプロ野球の歴代二塁手で1位の記録を残されています。

また、他のポジションを含めた補殺数は5917でこちらもNPB歴代最高記録となっています。

監督時代は優勝経験はないものの、1994年には巨人との歴史に残る10・8決戦に導いています。

 

高木守道は井端や落合監督との関係は不仲?

高木守道さんは監督時代に井端弘和選手のプレーについて納得がいかなったことから口論を起こしています。

口論の原因になったのは7回表2死二塁、稲葉篤紀に中前へ同点打を浴びた際の処理についてらしく、本来は一塁手のマット・クラークが中継に入るプレーなのだが入るのが遅れてしまう。

高木守道監督は中継に井端が入っていなかったことが気に入らなかったようで7回裏の攻撃前の一塁ベンチにて井端弘和に「カットに入れば間に合っただろ!」と詰め寄るも、井端が「無理です」と答えたことが内紛の原因と思われる。

注意された井端が不服そうに帽子を脱ぎ捨てベンチ裏に消えると、それを鬼の形相にし高木監督が追い掛けた

(引用:https://dic.nicovideo.jp/a/)」

口論のきっかけとなった動画がこちらです。

また、元中日監督であった落合博満さんとも

 

あなたにオススメの記事