2004年海王丸座礁事故池田重樹船長が指示を無視?その後や海猿は?【土曜プレミアム/世紀の大事件】

2019年1月18日に放送される「土曜プレミアム・報道スクープSP 激動!世紀の大事件7」で海王丸座礁事故について特集されます。

これは、2004年に実習生167人を乗せた練習船「海王丸」が富山港で停泊中に台風23号の強風によって防波堤に衝突し座礁した事故です。

事故により海王丸に乗っていた実習生18人が骨折などのけがを負いました。

座礁した原因については船長であった池田重樹船長の判断ミスと言われています。

また、救出には特集部隊である海猿の活躍があったそうです。

海猿による海王丸の救出劇や座礁するきっかけを作った池田重樹船長の判断ミスの詳細について紹介していきます。

【土曜プレミアム・世紀の大事件】2004年富山港海王丸座礁事故!

(画像引用:https://www.kaiho.mlit.go.jp/)

事故は2004年10月20日に伏木富山港で起きます。

海上技術短期大学校海王丸は実習生ら167人を乗せ、10月18日に北海道の室蘭港を出港して航海訓練中でした。

この時日本には全国で死者95人、行方不明者3人を出した台風23号が上陸中。

日本海を航海していた海王丸は台風23号の接近に備えて、午前7時ごろ伏木富山港で待機(停泊)する事に。

伏木港の場所
  • 場所:〒934-0001 富山県射水市庄西町2丁目4

この時台風は高知県に上陸し、北東方面に向かって北上していました。

(2004年台風23号の進路)
(画像引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/)

時間が経過すると共に富山県に台風が近づき風も強くなり、19時時点では風速30~35m/sの風が吹き荒れていました。

午後9時には風速45m/sの暴風が吹き荒れ、海のうねりは6mに達していました。

そのため船は前進しようとしても舵を取れない状況でした。

そして、午後11時前に海王丸は走錨(船がいかりを投じたまま流されること)して防波堤に衝突、そのまま座礁したのです。

座礁すると船内には大量の海水が入り込んできます。

すぐさま池田重樹船長は海王丸の中心部である第1教室に乗組員をに集めてヘルメットとライフジャケットの着用を指示。

しかし、台風による荒波は第1教室の窓ガラス(強化ガラス)さえも破ります。

第1教室には一気に海水が侵入。

第一教室に固定されていた机やイスは海水で外れ暴れまわる凶器となり、船内は一気に危険な場所となったのです。

 

八田一郎一等航海士(チョッサー)が行方不明に

そんな中で乗組員をさらなる悲劇が襲います。

ナンバー2にあたる八田一郎一等航海士が行方不明になっていたのです。

八田一郎一等航海士は座礁直前に火災警報が鳴った事から甲板(デッキ)に確認へ。

そして、甲板を歩いていると八田一郎一等航海士に予想をはるかに超える荒波が襲います。

奇跡的にもライフジャケットが手すりに引っかかり八田一郎一等航海士は何とか船に留まります

その後、手すりに自身の体をロープで巻き付けて耐え忍びます。

すると、船内にいた乗組員の何人かが甲板室から扉を開けて叫ぶ声に気づきます。

八田一郎一等航海士は「自分に近寄れば犠牲になってしまう」と思い「来るな」と追い返します。

そんな中で八田一郎一等航海士はロープをほどき、一か八かで大波の合間をぬって甲板室へ飛び込びみ助かったのです。

 

実習生の冷静さ

また、普通であればこのような状況であれば実習生たちはパニックになってもおかしくはありません。

しかし、海王丸に乗っていた実習生は非常に冷静だったそうです

ケガ人をかばうために、水を避けられる机の上を譲りあい。

長時間水に浸かっていると体温が奪われる事から、水の浅い場所にいる者が深いところにいる者と場所を交代。

さらに八田一郎一等航海士が無線で船外と連絡を取ろうとした際は自ら補佐に回る者も。

このように実習生たちは自分が今で出来る最大限の事をやっていたそうです。

乗組員であった村松智司一等機関士は実習生に対して

死の恐怖に直面しながらもそれぞれが今自分にできることを考え行動していた。

その姿を見た乗組員のほうが感動し、なんとしてもこの実習生らを助けなければ

(引用:https://nippon.zaidan.info/)

と彼らによって逆に勇気づけられたそうです。

 

【土曜プレミアム・世紀の大事件】海王丸座礁事故の救助で活躍した海猿について

海王丸の船員は事故の翌日である21日の夕方ごろに全員救助されます。

救助にあたり大きく活躍されたのが海上保安庁特殊救難隊(通称:海猿)です。

彼らは21日の午前8時に現場に到着。

ヘリからの救助を試みるも海は大シケで荒れており、近づくの困難であった事からシケがおさまるで救助活動を控える事に。

しかし、上空から甲板上で大波に打ち寄せられながら身体を確保している乗組員3人を確認すると事態は一変。

海猿たちはすぐさま甲板上にいる3人の救助に取り掛かります。

しかし、海王丸は座礁して大波で甲板の設置された帆などが障害物となり、ヘリから着陸するスペースはほとんどなかったようです。

そんな厳しい中で海猿たちは技術を駆使して3人を救出したのです。

その後、天候が回復すると座礁現場付近の防波堤に接近する事が可能になり、ゴムボートによって午後4時前に乗組員・実習生167名全員を救出。

 

【土曜プレミアム・世紀の大事件】座礁事故は池田重樹船長が海上保安部からの指示を無視が原因?

その後、海上保安部は「船長の判断ミスが事故を招いた」として池田重樹船長から業務上過失往来危険、業務上過失傷害の疑いで事情聴取。

池田重樹船長が事故当日に海上保安部からの指示を無視していた事が判明します。

20日お昼ごろ海上保安部は海王丸に対して

現在の位置は風向や風力から停泊位置として適していないから、安全な海域に移動するよう

代理店を通して指示していました。

しかし、池田重樹船長は指示を了解しながら従う事なく沖合に停泊していたのです。

その後、19時ごろに直接電話で注意したようですがこの時には暴風が吹き荒れ、待機する事しか出来なかったと思われます。

また、事故から1週間経たない内に池田重樹船長は謝罪会見を開かれました。

池田重樹船長は指示に従わなかった理由について

昨年も台風の際、同じ場所で錨泊した実績があった。

気象庁などの台風進路の予想から35~40メートルの風は覚悟していたが、1時間くらいでやむと思った。

青森県沖で台風をやり過ごすことが一番安心だと考えたが、できるだけ富山港の近くにいないといけないと思った。

24日には新湊市の富山新港で一般公開も予定されていた。

行事にも影響をおよぼさない方法でやりたかった。  

(引用:http://wareraumizoku.com/typhoon.htm)

と様々な事情が絡んでいたようで悩んだ末に停泊の決断を選択したと思われます。

確かに行事も大切ですが何よりも1番大切なのは人命ですから、少し危険な選択だったのではないかと思いますね。

 

その後は?

海難審判によって池田重樹船長は2ヶ月の業務停止となりました。

また、八田一郎一等航海士にも戒告の懲戒処分が求められました。

2ヶ月の業務停止というのは、自動車の運転免許の取り消しに当たるような厳しい処分だったようです。

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